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Endless SHOCK 2012.02 帝国劇場

        2000年首演的這個作品,至今已持續演出12年,在這次的公演日程中將會迎來第900場演出。不管是什麼演出內容都一樣,要累積演出的場次比想像中要來的更困難。理所當然的,必須要有觀眾的支持,有「還想再看」這樣熱切地希望,還有演出者本人的行程以及各式各樣時間點的問題存在。況且,主演的堂本光一並非專職於舞台劇演出活動。這樣的他,於今年正月在博多座演出一個月,馬不停蹄的接著在帝國劇場自2月份至4月份演出,挑戰了長達四個月的長期公演。這並非單單是倚靠著年輕力壯就能夠辦到的事。若是以此為著眼點來看,過去同樣在帝國劇場,森繁久彌在60多歲時,也曾演出被稱做是國民音樂劇的「屋根の上のヴァイオリン弾き」(屋頂上的提琴手)長達6個月的時間。但是,演出場次和表演形態不同,無法一概而論。

 

        不論是松本幸四郎的「ラ・マンチャの男」或是森光子的「放浪記」,做為不斷重複上演的名作都有其理由存在。當然,作品本身有其優秀之處,以主角為中心的演出者們也有其魅力。但是,單憑這樣並不足以持續演出下去。今天的演出要比昨天更好,這一次的公演不比前一次更上層樓的話,就無法得到熱烈的支持。去年在帝國劇場的公演,受東日本大地震的影響,不得不終止演出。今年挾帶著粉絲們更為熱切地期待,為了回應粉絲們的盼望,堂本光一和劇團成員們所承受著的壓力可見一斑。一如往常地白皙美男子扮相,看起來像是在不怎麼困難的舞台上做著熟練的演出,其中付出的努力,恐怕是超越觀眾們的想像的,而讓觀眾們絲毫感覺不出其中的辛苦,正是身為專業中的專業才能做到。

 

        以展現自身的表演技巧為一直以來不變的大主題之外,Endless SHOCK每年都有做些許的形態改變。這該稱做是「進化」亦或是稱做「努力」呢? 在今年的舞台上,有向Michael Jackson的編舞老師Travis Payne親自提出邀請並打造的新場景等等,對於不辭辛勞致力於充實其娛樂性的年輕座長所做的努力,是值得被評價的。這些,都能夠讓粉絲們的心有所共鳴吧。說的直白一點好了,就算是演出跟去年一模一樣的內容,觀眾也會蜂擁而至,日日都是「満員御礼」吧。但是,存在於堂本光一身體裡身為演出者的「魂」,不容許自己安於現狀。觀眾是很敏銳的。就因為能夠感受到這些,每一年,才能夠挾著最難取得票券的舞台劇的稱號,再再讓帝國劇場座無虛席。

 

        嚴格說起來,他的態度對於身為一個劇團座長的演出者來說,展現出來的樣貌也好精神也好都是理所當然的,這才能稱得上是表演精神。但是,著實令人遺憾的是,喪失了這種精神並安身於過去得到的評價,不要說是一步就連半步都無法向前邁進,不斷重複上演相同內容的演出者並非少數,這就是現況。演劇界毫無前景可言陷入渾沌狀態的現在,(SHOCK的成功)並非單純因為是由傑尼斯裡擁有人氣的人所演出的舞台劇的關係,並不是因為這樣。我認為這齣劇碼有其存續下去的價值。已經是超過三十年以上的事了,被稱做名優(知名演出者)的長輩告訴過我,「再次公演,若是和前一次的演出如出一轍,觀眾會想『上一次的比較好耶~』。比起前一次更加努力更加用功,就算很微小但是有所成果的時候,『啊~果真是很不錯呢!(觀眾會這樣想)。但是,對於演出者來說,這個基準要如何拿捏是相當困難的。」我想堂本光一並沒有聽過這位名優的這段話。但是,他從自己擔任座長的經驗中,有了這樣的體悟。他的身體裡有這股精神在,就能夠「Endless」了吧。

 

        我過去曾將傑尼斯的公演稱之為「演劇界的新潮流」。但是,累積了900場次並邁向1000場次的公演,無法以「演劇界的新潮流」一言以蔽之。堂本光一今後能夠在持續不斷的演出中,將此劇發展與進化到什麼程度,也是注目的焦點。


【翻譯 by MUGI】※請勿擅自轉載 XD

 


[原文]

 

Endless SHOCK 2012.02 帝国劇場

 

2000年に初演をしたこの作品も、今年で12年連続となり、今回の公演中には上演回数が900回を迎えるという。どんな芝居でもそうだが、数を重ねて行くことは、想像以上に苦しいものだ。当然のことながら、観客の支持、「また観たい」という熱望がなければ続けられるものではないし、本人のスケジュールやさまざまなタイミングの問題もある。まして、主演の堂本光一は舞台を専門として活動をしているわけではない。その彼が、今年のお正月は博多座で1か月、休む間もなく帝国劇場で2月から4月までの通算4か月のロングランに挑戦している。これは、単純に若くて体力があるからできるというものではない。そういう点で言えば、かつて同じ帝国劇場で、森繁久彌が、当時は国民的ミュージカルと言われた「屋根の上のヴァイオリン弾き」を60代で6か月のロングランを行ったこともある。しかし、公演回数や興行の形態も違うし、一律に比較することはできないだろう。

 

松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」にしても、森光子の「放浪記」にしても、数を重ねた名作にはそれだけの理由がある。もちろん、作品の良さ、主役を中心とした役者の魅力はあるだろう。しかし、それだけで続くものではない。昨日より今日、前回の公演より今回とレベルアップをして行かなければ、熱烈な支持を得ることはできない。昨年の帝国劇場での公演は、東日本大震災の影響で公演途中での中止を余儀なくされたこともあり、今年はファンの期待も更に大きかっただろうし、それに応えるべき堂本光一をはじめとするカンパニーのプレッシャーも並大抵ではなかっただろう。相変わらずの白皙の美青年ぶりで、難なく舞台をこなしているように見えるが、その努力は、おそらく観客の想像を絶するものであり、それを毛ほども感じさせないのがプロのプロたる所以でもある。

 

ショーマン・シップのあり方を見せるという大きなテーマは変わらないものの、この公演は毎年少しずつ形態を変えている。これを「進化」と呼ぶべきか、「努力」と呼ぶべきか。今年の舞台にはマイケル・ジャクソンの振付師でもあったトラヴィス・ペインのところへ自らが出向き、新しいシーンを創るなど、エンタテインメントとしての充実ぶりには労を惜しまない若き座長の努力は評価に値する。それが、ファンの心に共鳴を与えるのだろう。はっきり言ってしまえば、去年と同じ舞台を見せても、観客は殺到するであろうし、満員御礼の日々は続くはずだ。しかし、堂本光一の中にあるショーマン・シップの「魂」が、そこに安住することを許さないのだろう。観客は敏感である。それを感じるからこそ、毎年、最もチケットの取りにくい舞台として、帝国劇場を埋め尽くすことができるのだ。

 

厳しい言い方をすれば、彼の姿勢は一座の座長を張る役者としては当然の姿であり、精神であえい、これこそがまさにショーマン・シップだ。しかし、誠に残念ながら、この精神を持たずにかつての評価に安住し、一歩はおろか半歩も前進しようとせずに、同じような芝居を繰り返している役者が少なくはない、という実情がある。演劇界が全く先の見えない混沌としている今、単にジャニーズの売れっ子の公演だから、ということだけではないのだ。そこに、この公演を続ける価値がある、と私は思う。もう三十年以上も前に、名優と言われる古老が私に教えてくれた言葉がある。「再演だからと言って、前と同じようにやったのでは、お客様は『前の方が良かったなぁ』と思う。前よりも、努力をして勉強をして、少しでもいいものにした時に、『ああ、やっぱりいいねぇ』となる。でも、役者にとってはこの寸法を伸ばすことが大変なことなんだよ」と。堂本光一が、この名優の話を聞いているとは思えない。しかし、彼自身が座長を勤めて来た経験の中で、体得したのだろう。彼の中にこの精神がある限り、「Endless」なのだろう。

 

私は、かつてジャニーズの公演を「演劇界の新しい潮流」という表現をしたことがある。しかし、900回の数を重ね、1000回に及ぼうという公演を「新しい潮流」だけでは済ませることはできない。彼が、今後どこまで発展と進化を繰り返しながらこの公演を続けて行くのか、それを見届けるのも一つの役目だろう。


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